「鶴」(長谷川四郎)

鶴が暗示する戦友・矢野の脱走と「私」の死

「鶴」(長谷川四郎)
(「百年文庫011 穴」)ポプラ社

敵国と接する地域の
国境監視哨である矢野と「私」。
望遠鏡でのぞき見る外界は、
戦争とは無縁の世界のように
穏やかであった。
ある日、矢野に
南方戦線行きの辞令が下る。
しかし彼は夜の闇に紛れて
軍を逃亡し、
姿を消してしまう…。

数ある反戦小説の中でも
異色の作品です。
読み始めてしばらくは、
そこが戦争地帯とは
思えないような描写が続きます。
国境監視哨は、
地下に築いた壕から望遠鏡を伸ばし、
周囲を監視しているのですが、
見えるのは「山羊や馬の群をつれた
女や少年の姿」など、
のどかな地元民の生活の風景なのです。

ある日「私」は望遠鏡の中に、
一羽の鶴に背後から銃で狙いをつけた
狩人の姿を見つけます。
狩人が銃を放ったと思った瞬間、
鶴は悠々と大空へ
羽ばたいていったのです。

脱走した矢野はどんな人物か?
彼は「肉体的には
立派な兵士」でありながら、
軍人勅諭も上官の名前も
ほとんど覚えようとしない、
軍国主義にまったく染まっていない
人間なのです。
文脈から察するに、
彼が派兵される南方は激戦地。
彼は覚悟を決め、
脱走して国境線を越えるのです。

「私」はどんな人物か?
「いい兵隊ではなかったが、
軍人勅諭も上官の名前も覚えていた」
ごく普通の兵卒だったのです。
だから上官の理不尽な命令に従って、
命を落とします。

「私」の見た鶴は、
「広大なる空間の奥の方へ
 飛んで行った。
 それは段々と小さくなって、
 終には一つの点となって、
 やがていかに望遠鏡を調節して
 空間を拡大しても、
 もうその姿は見えなかった」

「鶴」は自由を象徴するものであり、
しかもそれは「私」の手に届かぬ
遥か遠方へと
消え去ったものでもあるのです。
さらに「鶴」は
矢野の脱走と「私」の死を
暗示するものでもありました。

こうして読み終えると、
いろいろなものが対比して
描かれていることに気付かされます。
「外の世界の自然」と「壕の中の『私』」、
「軍に従わずに
生を勝ち得た(であろう)矢野」と
「軍命に従い犬死にした『私』」、
そして
「自由な世界を生きている鶴」と
「狭い穴の中から逃げられない『私』」。
惨めな死を迎えた
「私」を描くことによって、
戦争の異常さと愚かさが
あぶり出されています。

戦地は不詳ですが、
対ソ連監視隊員としての
従軍経験のある作者の経歴に鑑みるに、
満州・ソ連の国境に間違いありません。
読み応えのある逸品です。

※本作品は新潮文庫刊
 「日本文学100年の名作第4巻」にも
 収録されています。

(2019.11.25)

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